“自分だけじゃない”と信じてみること

 

孤独感?

 

高校一年生の頃、数学の先生がおっしゃったことで

今でもずっと覚えているものがあります。

 

中学から一気に難しくなった数学に、みんなが

大きな壁を感じたり、戸惑ったりしていたころ。

 

「ここまででわからないことがある人は?」

と聞かれても、なかなか手を挙げる人はいません。

 

「わかっていないのは自分だけかも」とか、

「”わからない”とみんなの前で言うのは恥ずかしい」とか、

いろんな理由があったと思います。

 

そんな雰囲気の中で先生がおっしゃったのは、

 

「”わからない”と声を挙げるのは恥ずかしいことではないよ。

1クラス40人もいて、わかっていないのが自分一人だけ…

なんてことは、まずないから。わからないと思ったら、

絶対に他にも同じ気持ちの人がいるよ。」

 

ということでした。

さらに言うと、

 

「だから、”わからない”と表明することは、

他のわからない人を助けることにもなる。」

 

ともおっしゃっていました。

たしかに、言われてみれば人ひしめく教室内で

「私だけかも…」と思うのは少し無理が感じられ。

 

”わからない”がそれほど怖くなくなり、

先生や友人に遠慮なく聞いてみようという勇気が出たのでした。

(授業中に聞くのは別の勇気も必要になりますが…)

 

そしてその考え方は、いま現在においても

私を支え続けてくれています。

 

社会に出ると、大勢の人たちが

いろんな本音を隠しながら生きていますが、

 

「自分と同じ気持ちの人は、きっといる。」

 

それが誰かはわからなくても、

そう信じられるだけで、心強いものです。

 

時には、その気持ちを恐れず言葉にしたり、

行動することによって、自然と同じ気持ちの人が

まわりに集まってきてくれていたりします。

 

「つらく感じているのは自分だけかな…」

と思いかけた時は、おまじないのように

「いやきっと、私だけではないはず」

と心の中で唱えてみましょう。

 

 

もちろんこれは、

「だから我慢しなきゃ…」

という話ではなく、

 

「つらいよね」「やっぱそうだよね」と、

お互いに言い合えることで生まれる心強さもある、というお話です。

もちろん「楽しいね」も同様です。

 

 

投稿者プロフィール

中根春奈
中根春奈
誠実さと敬意をもって、知ること、考えることを大切にしています。

コメントはお気軽にどうぞ

日常

前の記事

おたより
日常

次の記事

たまには…