固定観念をときほぐす

 

美術館の展示などを見ていてよく思うのは、

私もまだまだ色んな固定観念にとらわれているなぁ、ということ。

 

半年ほど前に、

デミタスカップを愉しみに行ったときのことです。
※全部撮影可能な展示でした

 

デミタス1

 

例によって、

「綺麗なものが見たいなぁ」

という軽い気持ちで見に行きました。

 

デミタス3

 

自分は普段どうしても実用性を重視したものばかりで

身の回りの物を揃えてしまうので、

 

最初は綺麗だな~と思いつつも、ついつい

「このカップ、飲みにくそうだな~」

と思ってしまったり。

 

デミタス2

 

でも、たくさんの展示を見て、

説明書きを読みながら、だんだんと

その世界に入り込んでいくと…

 

「カップはコーヒーを飲むための物」

という固定観念が霧みたいに分解され、

 

「まぁいいじゃない、そういうことは」と、次第に

”何でも受け入れるモード”に切り替わっていくのがわかります。

 

この状態が、とても楽しいのです。

 

展示の終盤には、

実用性をはじめから放棄した

ガラス製のものまで現れました。

 

それがまた綺麗で…!

 

「飲めないなら意味がないじゃない」

なんていう気持ちにはもうなれませんでした。

 

むしろそっか、それでいいのか~。

と、安心感のようなものまで感じたり。

 

 

外に出るころには、

「カップはコーヒーを飲むためのものだけど、

すべてのカップがそうである必要はないし、

恐らくこれは他の何にだっていえることだろうなぁ」

という考えになっていました。

 

霧になって一度分解された固定観念は

新しい形となって再形成されるけど、

”受け入れモード”の成分が配合され、

前よりも柔らかく仕上がってきます。

 

デミタス4

 

絵でも、文章でも、映像でも。

こんな自由もあるんだなぁと教えてくれる。

 

そういうところがいいんですよね。

 

 

 

 

投稿者プロフィール

中根春奈
中根春奈
誠実さと敬意をもって、知ること、考えることを大切にしています。

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